2009年07月29日

エゴン・シーレ 神に跪く若者

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エゴン・シーレの「神に跪く若者」(1908)の作品です。この若者がシーレなのかわかりませんが、シーレだとすると、神はクリムトだったんですかね。

この作品もクリムトの平面的、ユーゲントシュティールのモチーフがちらほら。

このエゴン・シーレとクリムトの二重肖像画はこの記事から。
ウィーン世紀末 クリムト、シーレの接吻、抱擁

エゴン・シーレはクリムトの作品を必ず描いていますよね。タイトルなんかも同じくしています。

この人の面白さは、ポルノグラフティと紙一重の作品が多く知られている中で、ほかにどんなものを描いているのかという興味にかられるところです。

彼らが活躍した世紀末ウィーンの背景は、フランツヨーゼフ1世と悲劇の皇后エリザベートの時代です。

建築はゴットフリート・ゼンパー、ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ、オットー・ワーグナー、ヨーゼフ・ホフマン、アドルフ・ロースがいて、音楽はヨハン・シュトラウス2世、 アントン・ブルックナー、ヨハネス・ブラームス、フーゴ・ヴォルフ、グスタフ・マーラーらがいました。

文学ではなんといってもフランツ・カフカ。

そして、ジークムント・フロイト、アルフレート・アドラーもこの時代。

アドルフ・ヒトラーも。

破壊と新生の狭間の時代。

さて、SAIくんの目が悪くなって、2年。とうとう片目が見えなくなったというが、そんなことはきっと彼にはどうでもいいことだろう!そうでしょう。SAI!

ブログも再開したようで、僕も再開。

さて、この2年間いろんなことがあった。

ブログを通じて知り合った人、人、人。

実際に本当のプロフィールを知る人は少ない。個人主義が多い仲間ですからな。(笑)

ブログの仲間には職場のスタッフもいる。この2年間で、50を前にようやく初婚を果たしたカップルも、プロフィールを知る仲間。

SAI、arei、楓も知る仲間。

その中で、よく知っているつもりだったが、本当のところ、どこに住んでいて、本名も知らないで、アドレスだけを知っているという人もいる。

そんなネット世界での大切な友人が一人亡くなっていたことも知らなかった。

一番に心を痛めているのは楓。JOCOSOの時からだもんね。

その方のご主人がそのままにしておいたらしい。コメントもご主人だったらしい。

亡くなって半年後にようやくご主人のメールでわかった。

この2年、その方のご冥福を祈ってました。

その方のブログ、仲間内で引き継ぐらしい。
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2007年03月05日

ルドン ガラテア

今日は、楓の blog Life Style Concierge へのオマージュです。(笑)ギュスターブ・モローのガラテアの画像を拝借しています。(中段 3枚)
MAKI が、ルドン 「ヴィーナスの誕生」という記事をアップした。楓の記事からギュスターヴ・モロー 「アフロディテ」1870年の作品、サンドロ・ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」、a-lei の記事からギュスターヴ・モローの模写を取り上げて、ルドン 「ヴィーナスの誕生」を5枚掲載している。

『ルドンもモローもそうだけど、聖書や神話を題材にしているよね。なんか、一歩間違えれば「野暮」な作品っていうのが二人の共通点だよ。』

MAKI ルドン 「ヴィーナスの誕生」 より引用

なるほど、なるほど。MAKI の記事から、なんとなくだけれども、ルドンはモローの作品からインスピレーションを受けているんじゃないかということが伝わってくる。

さて、楓のアップしたガラテアは、ギュスターヴ・モローの三枚のガラテアと、ラファエロのフラスコ画「ガラテアの勝利」、「ポリュフェモス」、ウスタッシュ・ル・シュウール「ガラテアの凱旋」、作者不詳「アキスとガラテア」をアップしています。

ガラテアには、ポリュフェモスの神話に登場するガラテアと、ピグマリオンに登場するガラテアがいて、同一のガラテアではありません。

ちなみに「ピグマリオンとガラテア」はこちら。

RE+nessance  ガラテア

このルドンのガラテアは、ポリュフェモスとの神話に登場するガラテアです。

作品「キュクロプス」1895-1900
クレラー=ミュラー美術館
キュクロプスとは、巨人族の名称で、ここで描かれているのが「ポリュフェモスとガラテア」なんです。

Life Style Concierge ガラテア

ルドンの作品の解説で、稲賀繁美氏が、「ギュスターヴ・モロー風の奇怪で忘れがたい着色を施していた」という一文を記している記事を発見しましたが、その作品がどれなのかということがわかりません。

このガラテア、ヴィーナスの誕生には、モローの作品からのインスピレーションを感じるわけです。

ルドン ガラテア


オディロン・ルドン、モロー関連記事
オディロン・ルドン
ルドンの装飾美 そして神話画パンドラ
オディロン・ルドン 作 「ポール・ゴーギャン」
オディロン・ルドン 蝶々に小花、 昼と夜
Life Style Concierge ガラテア
MAKI ルドン 「ヴィーナスの誕生」
ルドン 「オフィーリア」 Odilon Redon,Ophelia

ルドンのオルフェウス モローのオルフェウス
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2007年01月11日

フランツ・マルク

マルク今年初のブログ書初めです。昨年は、コメント、トラックバックが、急に受信できなくなり、ご迷惑かけました・・・。

Sai、alei が、設定が変わったんじゃないかと、メールであれこれ教えてくれて、サンキュ!

さて、aleiKAFKAがカンディンスキーの記事をアップ。そうなると「書初め」は、フランツ・マルクじゃぁとさっそくアップ。
この「雪の中の鹿」は、私めが、もっともフランツ・マルクの作品の中で好きな一枚なのです。

ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの「薄暮れ」という詩の一節に、【おまえが小鹿を何よりも愛するなら、独りぼっちで草を食べさせてはいけない。狩人たちが森を行き角笛を吹き、声があちこち行きかっている。】とありますが、ついこの絵と重なり合ってしまう。

一頭の鹿は、何か物音にでも気づいたように、どこかを見上げている。もう一頭の鹿は、積もった雪の下の草を探しているようです。

フランツ・マルクは、1911年にカンディンスキーと、年鑑「青騎士」を発行しています。この作品も1911年。1904年頃の初期の作品から、この「雪の中の鹿」が、ちょうど、「小さな青い馬」、「大きな青い馬」という作品の通過点でもあり、その小さな青い馬も、1911年の作品でした。
こうして、戦争に行く1914年頃までの、3年ほどで描きあげた作品が、ドイツ表現主義の代表作となったわけです。

ピースフル・アートランドB-sou」の「美術家の言葉」に、フランク・マルツの言葉が、5つほど紹介されています。

そのうち2つを引用させていただきました。

青は鋭く精神的で、男性的原理の色であり、黄色はソフトで明るく感覚的で、女性的原理の色である。

引用:ピースフル・アートランドB-sou美術家の言葉

このフランツ・マルクの「馬」は、上からグレージング(赤)・青・黄です。ピースフル・アートランドB-souさんは、補足として、赤は物質、冷酷で、鈍重を表すと記しています。

私を取り巻く罪深い人間は、私の真の感情を呼びさますことはなかった。しかし、動物に生まれつき備わる生に対する感覚は、私のなかにあったすべての良きものを引き出した。

引用:ピースフル・アートランドB-sou美術家の言葉

作品は、「グレージング ホース IV(赤い馬) 」(1911 )、「大きな青い馬」(1912年)、「小さな黄色い馬」(1911年)です。一番下が、木版画で、「休息する馬」です。Sai、サンキュー!レンバッハハウスでの回顧展があって、展示されていたようです。

フランツ・マルク2
フランツ・マルクは、若くして1916年に亡くなっていますが、版画や風景画、人物画などの作品も残しています。

パリに長く滞在していた、アウグスト・マッケは、マルクの友人でもあり、「青騎士」にも関与していました。マッケの色彩をマルクは敬意を表し、「ミスターカラー」と呼んでいたそうですが、マルクが表現主義に対して、マッケは詩的な作品を多く残しています。マルク同様に、マッケも戦死。27歳の最後の作品は「さらば」。

マッケが戦死する前の年に、マルクは、カンディンスキーと同様に、コンポジションの連作を描いています。マルクは「スモール コンポジション」というタイトル。1913年から14年のことです。
フランツ・マルク
1912年作
「虎」

フランツ・マルク
1913年作
「スモール コンポジションT」
マルク 晩年作品

フランツ・マルクの作品は下記サイトから見れます。
Franz Marc (German, 1880-1916) 96作品
Franz Marc Gallery 1-5


フランツ・マルク 1906年
「山の(うえの)二人の婦人」

フランツ・マルク 1909年
「弾む子馬」
マルク 初期作品

関連記事
アレクセイ・ヤウレンスキーKAFKA アレクセイ・ヤウレンスキー
パウル・クレーパウル・クレー 天使
フランツ・マルクフランツ・マルク バーミリオン
カンディンスキーとミュンターワシリー・カンディンスキー(ヴァシリー・カンディンスキー)


トラバ受信できなくてごめん。原因不明・・・
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2006年12月12日

ジョン・アトキンス・グリムショー

John Atkinson Grimshaw (1868-1913)

Whitby from Scotch Head 1879年
London Bridge - Half Tide 1884年
The Lighthouse At Scarborough 1877年
Whitby Docks 1876年

関連記事
船・港 4点
シャロットの姫君
妖精・エレーン U
光・街角 青系13点
風景画 黄茶系15点
エレインT(エレーン)
ムーンライト・イブニング
ウィトビーハーバーのムーンライト
グリムショー
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2006年12月09日

オデュッセイア

mermaidホメロス著の古代ギリシア叙事詩「オデュッセイア」には、一つ目巨人のキュクロプス族や魔女や人魚、半人半鳥などが登場する。

最近は、「ユリシーズ」を読んで、「オデュッセイア」を読破した錯覚をする人も多いのではないか。たしかに「オデュッセイア」のあらすじや登場人物は残ると思うけれど。 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、オデュッセイア(ユリシーズ)を題材に作品を仕上げた。最初の人魚は、「オデュッセイア」とは無関係のようだ。

だが、この1900年作「マーメイド(人魚)」は、民俗学で登場するように、魔物の印象がある。人魚によって、引き起こされた洪水や災害は、人の命を奪う。海に響き渡る美しい歌声が聞こえたら、難破の前兆だ。

あるときは、人間の男を誘惑し、あるいは誘惑されたり。櫛や鏡を隠し、人魚がそれを見つけて海へもどるまで、同棲するという話もあるんですね。 僕は、この人魚に、オデュッセイアに登場する、ニンフだったスキュラの姿を重ねてしまうんです。
Circe Invidiosa_1892その美しいスキュラを、醜い姿に変えたのが、女神キルケ。海の神グラウコスは、スキュラに求愛したが、グラウコスの異形の姿に怯えてしまう。

女神キルケの魔術、薬草で、スキュラを虜にしたいとやってきたグラウコスに邪恋したキルケ。 キルケは、スキュラの水浴びの場所へ、毒薬を流し込む。

下半身は6つの犬の頭と12本の足を持つ異形の姿のスキュラになってしまうのだ・・・。心も身の変貌同様に、異形のものになってしまう。

この 1892年作「嫉妬に燃えるキルケ」(Art Gallery of South Australia サウスオーストラリア・アートギャラリー)が、第12歌のスキュラの回想シーンに登場するキルケ。 この女神キルケは、第10歌から登場する。
Circe Offering the Cup to Ulysses1891海岸へ難破し、王女ナウシカアに助けられた英雄オデュッセウスは、そこから女神キルケの住むアイアイエ島へ漂着。すでにスキュラは異形になったあと。 人間の男たちを、獣や豚に変えて暮らす女神。恐ろしい。男を破滅させるファム・ファタル。

「ユリシーズ(オデュッセウス)に杯を差し出すキルケ」(Oldham Art Gallery, Oldham, England オールダム・アート・ギャラリー)は、1891年の作品。

だが、オデュッセウスは、このキルケの魔法に備えて、ハーブをヘルメスから渡されていた。 キルケは、毒薬のはいった杯をオデュッセイアに差し向ける。 ところが魔法が効かない。豚に変えられた船員たちを、もとの姿に戻すという交換条件で、キルケと生活を共にする。そのうちオデュッセウスもその気になり、子を設けるが、1年後に帰路につく。

この魔性の女キルケは、オデュッセウスのために、帰路の安全を祈る女に変わっていた。

さて、第11歌 冥府への取引も終わり、第12歌 。いよいよオデュッセウスは、帰路につく。キルケは、半人半鳥のセイレーンが、魅惑する歌声で難破させることや、美しいニンフだったスキュラの六頭と、ゼウスの怒りにふれ大渦巻を起こすカリュブディスが棲家とするメッシーナ海峡の難関を示していた。 Ulysses and the Sirens

スキュラの六頭には、6人が犠牲になったが、ゼウスが稲妻を落とし、無花果の木に助けられたオデュッセウス以外は全員死亡。どう、この第12歌の結末は? 船員は、家畜で生きながらえたほうがよかったのか。

1891年の「ユリシーズとセイレーン」の作品。(National Gallery of Victoria, Melbourne, Australia ヴィクトリア国立美術館、メルボルン)

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 関連記事
パンドラの壷
南部のマリアナ
薔薇の魂
オフィーリア(小さいですが、何点かあります)
ヒュラスとニンフたち/イアソンとメディア
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2006年11月06日

ショコラの芸術 サロン・デュ・ショコラ パリ2006

サロン・デュ・ショコラ パリ 2006チョコレートなんぞに、私特別興味はなかったので、ネットの仲間たちが、サロン・デュ・ショコラ」の記事を書いているのを見て、ほぉ〜、チョコレートで絵も、彫刻も、ファッションもつくるのか〜と思ってみてました。

たまたま海外の時事通信を見ていたら、その記事にヒョッコリ遭遇。この写真のモデル、スペインの歌手アイリーン・サルバドールらしい。ミッシェル・ガロワイエという有名なショコラティエのつくるチョコレートのドレスを、いまモデルに着せているところ。ドレスのデザイナーは、ネリー・ビーシュ・デ・ベレーといって、フランスでは超有名な人らしいのです。
さて、チョコレートのドレスが仕上がって、どんなふうに舞台に立ったのかというとですね。→【速報 サロン・デュ・ショコラ 2006.10.28-11.1 】この記事の真ん中の写真の右側です。
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2006年10月29日

ボーデ博物館 ダニエル・ニコラウス・ホドヴィエツキ

左の肖像画は、アントン=グラフ(1736-1813)が描いたダニエル・ニコラウス・ホドヴィエツキ。右がエマニュエル・バルドー (スイス, 1744-1818) のダニエル・ニコラウス・ホドヴィエツキの彫像。

アントン=グラフは著名人の肖像画を描く画家。エマニュエル・バルドーは、彫刻家。

モデルのダニエル・ニコラウス・ホドヴィエツキは、風俗を中心としたドイツの画家、銅版画家。カルバン派のプロテスタントで、息子を殺害した(無実?)の罪により車刑に処せられたジャン・カラスの家族、プロシア建国の祖フリードリヒ二世(フリードリヒ大王 : 1712-1786)などの作品があります。

またポーランド系であったためか、ポーランドの言語、歴史を好み、ホドヴィエツキのポーランド旅行記「Die Reise von Berlin nach Danzig ベルリンからダンチヒ(ポーランドの都市グダニスク)への旅」(1773)がの著作もあります。
これは、先日再開されたボーデ博物館の展示。戦争の傷跡を修理するため、数年間の期間を費やしたようです。

ほかにも、ロココ調、古典主義の作品が多くあります。ヴィリバルト・イムホフ夫妻の半身像や、イグナーツ・ギュンターの彫像、ボーデ美術館のロビーには、フリードリヒ大王の銅像もあります。昨年、日本初公開となった、ボッティチェリの「ヴィーナス」もボーデ博物館所蔵。

© Kunstmarkt Media Alle Rechte vorbehalten Foto: Heiko Klaas
Anton Graff, Daniel Nikolaus Chodowiecki & Emanuel Bardou, Büste Daniel Nikolaus Chodowiecki Foto: Heiko Klaas
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2006年09月09日

重陽の日 菊花紋石

Kiku_160凝灰岩の中の割れ目に結晶化した方解石の模様。これが菊の花に譬えられて、「菊花石」とか「菊花紋石」とか言われています。なんといっても今日は重陽の日で、ネット仲間の「画題」ではないが、毎年のこの時期、楓が「重陽の日」の記事をアップしている。

まずは楓からはじまった、重陽の節句にちなむ「KAFKAの菊茶」(飲んでみたい)、「菊の着せ綿」(もっとはやく教えなさい!)、「菊の掛け軸(渡辺始興)」(古典的な菊)、から始まって、その菊の掛け軸にそっくりな「菊の花」をアップしたQualiaさん。
相変わらず風流な変身抄が「鈴木其一 菊図屏風」を重陽にリサイクルして、HISASHIが皇室専用の紋章「十六重菊紋」から呼ばれる「御紋章菊(一文字菊)」(美しい〜)、Pangaさんは、柳沢淇園の掛け軸「正五九花卉図」(重陽にふさわしい)、NAOちゃんの「茱萸の袋」、aleiの「菊酒」(まだ鋭意製作中だそう)と続いた。そして11人のメンバーで運営しているマグナム・メッセが、梅荘顕常 賛 維明周奎 画 「菊図」をアップ。あと2、3人は、今日中にアップするだろうな。はい!書けば必ずヒットするSAI「九月九日 重陽 眠れる美女から」を忘れていました。jugemの御三家は記事件数こそ少ないけれど、検索では必ずトップ表示にくるエントリーが多い三人の一人。

さてさて、みんな重陽が好きなのかって? 実はネットの交流仲間で、2人だけの誕生日が知られている。その一人であるSinの誕生日が今日なんです。おめでとう、Sin!
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2006年08月19日

マルセル・エイメ

壁抜け男Blog『プロフェッショナルなアーチストが好き』から、マルセル・エイメの短編集「壁抜け男」がミュージカルで上演されるらしいことを知った。1943年のこの作品は、怪奇シリーズみたいなカテゴリーだった気がするが、劇団四季のHPには、「世界中の人を幸福にするミュージカル」とあった。

『一人の平凡な男が、突然壁を通り抜ける力を身につけたことから始まるコメディタッチの物語は、フランスのエスプリとともに社会風刺も織り込まれ、心に響くラブストーリーに仕上がっています。そして全編を綴るのは「シェルブールの雨傘」の巨匠ミシェル・ルグランの珠玉の音楽。“人生は素敵!人生は  最高!”と大合唱が起こり、舞台も観客も生きる喜びに染まるそのフィナーレは、全ての人を幸福感で包み込みます。』−SHIKI THEATRE COMPANY
これは、しがない中年男デュティユールの能力変化の物語。このマルセル・エイメは、僕が子供のころ、マルセル・エーメと紹介されていました。時代とともにソクラテスなんかもそうですが、諸外国の著名人の名が少し変化。

映画にマルセル・エイメ原作の「美女と時計とアブナイお願い(1991/英=仏=米) 」なんてあるらしいが、これは知らない。

そうだ、そうだ。この人童話も書いていた。「おにごっこ物語」(岩波)や「えのぐからとびだした話」(講談社)などがある。風変わりな短編集には「マルタン君物語」(江口清訳 ちくま文庫)など。

さて、マルセル・エメ広場には、『壁抜け男』にちなむ彫刻作品がある。写真がそうです。なんとジャン・マレーが創作したもの。モンマルトルの小さな広場なんですけどね。

追伸:「プロフェッショナルなアーチストが好き」のTOMOKOさま。コメントに僕の疑問に答えてくださってありがとうございます。BLOGにコメントしようと思ったのですが、普通に入らないんですね。記事で返信いたしました。
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ゴッホ 宗教画

またしても、僕らの火付け役は「XAI」である。

Die Verwandlung」のルイ・ヴィトンに展示されているドラージュの記事に一言、「ゴッホの肖像画がフェイクだって」からはじまって、「XAI」に、その指摘された「ある男の肖像」を掲載。なんだか、見たことあるような、ないような・・・。

あっという間に、ネット仲間がチラホラ書き出し、トラックバックをはじめてる。ひまわりの三幅対、ジャポネズリー(タンギー爺さんの浮世絵の背景が異なるものも掲載されている)、みたこともない薔薇やデイジーのゴッホの作品(女性陣が多いな)、おなじみの月星夜から12枚の自画像やらなんやらカフェ・ラ・ニュイの写真まで。

それで、僕は1889年の個人所蔵である「Head of an Angel (天使の環になるのだろうか)」をアップ。サイドは渦巻き模様だ。まだまだ、仲間が書き出す予感。
ゴッホ Head of an Angel 1889 Private Collection
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